参考文献
袖日記 大宮浅間秋祭り夜噺 囃子方の弁 富士宮囃子1 富士宮囃子2
加藤長三郎氏講演 笛今昔 秋祭り 英文解説
伝説・こぼれ話
富士宮の特殊事情 物騒な話 湧玉囃子 血染めの笛 鉾立石
神田川原にのろしを上げて 露店が無かった祭り
はやし方の弁 井上歳丸
岳南朝日 昭和41年3月12・15日 掲載
祭ばやしの名の通り神社祭典を縁に庶民の中から生まれたおはやしが、百年近い伝統を今日まで持ち続けてはきたものの、時の流れはしだいに祭り行事から遠退いた。しかしおはやしが郷土芸能として保存されることになったのは「はやし方」の一人としてうれしい。
この際、先輩から教えてもらったことを書いてみたい。間違いや感違いがあったら私同様の経験者に訂正、補足してもらい、より多くの市民に知ってもらいたいと思う。
まず楽器のことですが、確かにあれは楽器には違いありませんが「はやし方」は楽器と呼んだことはない。金胴、大胴、笛、鐘と個有名を呼んでむしろ道具と思っているからです。「バチ」の長さは九寸五分(二十九センチ)と尺二(三十八センチ)が標準、鐘、バチは鹿の角を用い打つとはいわず「スル」といいます。
おはやしの主体は金胴できまった譜があります。勿論外のものにも基本譜はありますが、その人びとによって美しいきれいな手が入るわけです。これを冴えと申します。金胴は締め具合で音(ネ)がまったく違うのでその加減がむづかしいし譜に手を入れることは絶対に出来ないで、二人とも両手の振上げが同じでないと左右のバチの切れ味が出ないのです。右手と左手との振上げが同じ肩上の高さにならないと大体見た目にもよくないし力が違って立派なはやしにはなりません。
大胴と鐘とは引立て役でかなりの経験を積ませないと聞かせどころの勘は出て来ません。特に大胴は金胴を喰ったのではまったく駄目だし、これよって全体の良し悪しがきまります。得手不得手にかかわらず片振上げは禁物ですから両振上げのケイコでバチ裁きをきれいにせねばなりません。
笛は金胴の引っ張り役であると共に錦上花をそえる千両役者なので、これがまた大変にむづかしい。太さの大小によって高低のきまる管一本、その冴えは一寸やそっとで身につくものではありません。だから次第に吹き手がなくなって、はやし方の頭痛の種、是非若い物の中から後継者が出て貰いたい。まあ何はともあれこうしたケイコの積み重ねがあって意気の合ったあの立派なおはやしが大勢の人びとの耳に入って来るわけです。
さてその種類ですが、道ばやし、「竹雀(タケス)」「篭毬(カゴマリ)」「カゾエウタ」とうは道ばやしで三味線が入って種類は多少違っても全国的なものであり、どこまでも歩行の道ばやしであって座って打つはやしではありません。
「聖天(ショウデン)」「四丁目(シチョウメ)」とう三味、ツヅミなどが入って屋台ばやし、「ニクズシ」、「ヤタイ」が山車ばやし、何といっても大宮ばやしの真骨頂はこの山車ばやし、いわゆる喧嘩ばやしといわれる「ヤタイ」です。別にはやし方が喧嘩したわけではないのです。セリ合で技を競うのに祭酒に酔いしれたくだらないのが意気がって立廻りをやらかしたりしたために名誉ある異名を取ったわけです。あの威勢のいい「ヤタイ」はこのセリ合によって磨かれて来たのです。だから当時のはやし方はこのセリ合を目標にケイコを積んだわけです。セリ合用の特大(径二十センチ位)の鐘を先輩が耳元にブラ下げて「スル」ので自分のバチ音なぞ全く聞えなくてただ手の振上げを合せることによって音を乱さずに何分間続くかをケイコしたのです。大体五分か長くて七分続けば必らず相手を乱させて勝ってにそんなささやかな庶民の楽しみも最早三十年の昔に消え懐古調になったとはいえ、よくもまあ疾風怒濤のあの時代を乗り越えて残って来たものだと思います。
なお、このはやしの家元が東京に現在します。
(田中師匠談)
※ 井上歳丸氏 宮本区在住 <平成元年没>
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袖日記 大宮浅間秋祭り夜噺 囃子方の弁 富士宮囃子1 富士宮囃子2
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