加藤長三郎氏講演

参考文献

袖日記 大宮浅間秋祭り夜噺 囃子方の弁 富士宮囃子1 富士宮囃子2
 加藤長三郎氏講演 笛今昔 秋祭り 英文解説

伝説・こぼれ話

富士宮の特殊事情 物騒な話 湧玉囃子 血染めの笛 鉾立石
神田川原にのろしを上げて 露店が無かった祭り


加藤長三郎氏講演より (秋祭り青年協議会全体会議で)

平成元年5月30日

・川東は御大領で韮山代官江川太郎佐衛門の支配地、川西は社領で、神社は全ての面において町の中心であった。
・川西は当時すでに多くの町内があったが、東は磐穂と咲花ぐらいだった。
・昔は町の小学校と言えば大宮小しか無く、青年は皆顔見知りだった。

・昔は数年に一度の当番制で全市を引き回したものだった。当番に備え、積立をして祭典衣装を新調したりもした。
・当番以外の区は自区内でつけ祭をした。
・宮参りは昔は区毎に神社に報告と祈願に参ったもので祭の主要な行事であった。
・神田は金棒、芸者、三味線、太鼓で道行をした。長唄の「なんこう」を叩き、清元の「神田祭」を踊った。
・当時神田には県下でも一番多くの芸者置屋があったので、祭には多くの芸者さんが参加し、祭には化粧もして貰ったりとそんな関係から当時の青年はよく遊びもした。
・踊りは昔からやっていた。
・祭の演出が大変上手だったのは咲花だ。これは咲花座という劇場があったのが影響しているかもしれないが、青年中心に皆で「奴さん」を踊りながら行進したこともあった。

・春に引き回しをしたことがあるというが、記憶していない。
・口上等の文句の決まりは特に無かったが、どちらも丁重な言葉で行う必要がある。
・交渉は特に言葉に気を遣い、受け手もまた同様に。
・他区が入ってから出るまでは、その区でずっと付き添ったものだ。

・始めは、先輩たちが根古屋に囃子を習いにいった。囃子方は花形で一番力を持ち、衣装は囃子方だけははっぴで、他は長着を着ていた。
・競り合いは今のような時間の制限は無かったので決着がつくまでやった。
・この競り合いが元で喧嘩になることもよくあった。
・神田と立宿で喧嘩になったことがある。その場は分かれたもののおさまらず、神田川に集まり喧嘩に行こうとしたが、西町が通さなかったので事無きを得た。

・囃子は四丁目から屋台につないだが、笛が切替えの指揮をとるので大変重要である。元、市の収入役であった渡井さんのお父さんがとても笛の上手な人だった。
・ひょっとこ踊りは昔はやらなかったし、私も好きではない。

・以前は祭事係が露店から神社へのお賽銭を集めていたのだが、ある者が言葉尻をとらえて難癖をつけ、追いかけてきて殴った。後で判ったのだが刑務所を出たばかりでドス(短刀)を隠し持っていた。

・この様な秋祭を考える会が出来たことは非常に良いことだと思う。
・団体の行事なので何よりも秩序が重要で、例えば囃子方のように統率のとれた和を、神社を中心に参加者全員、実施全区にと広げていってほしい。

加藤長三郎氏 = 神田区在住・浅間大社責任役員

<平成3年没>


参考文献

袖日記 大宮浅間秋祭り夜噺 囃子方の弁 富士宮囃子1 富士宮囃子2
 加藤長三郎氏講演 笛今昔 秋祭り 英文解説

伝説・こぼれ話

富士宮の特殊事情 物騒な話 湧玉囃子 血染めの笛 鉾立石
神田川原にのろしを上げて 露店が無かった祭り

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする