参考文献
袖日記 大宮浅間秋祭り夜噺 囃子方の弁 富士宮囃子1 富士宮囃子2
加藤長三郎氏講演 笛今昔 秋祭り 英文解説
伝説・こぼれ話
富士宮の特殊事情 物騒な話 湧玉囃子 血染めの笛 鉾立石
神田川原にのろしを上げて 露店が無かった祭り
富士宮秋祭り 佐野雅則
【秋祭り】
富士宮の秋祭りは浅間大社の秋の例大祭に、氏子が山車の引き廻し、手踊りなどを行ない収穫の喜びを分かちあうもので、毎年11月3日から5日までの3日間行なわれます。
3日に行なわれる「宮参り」には、浅間大社拝殿前に全ての祭典実施区が区を挙げて参集し、祭りの無事を祈願します。拝殿前は人で埋めつくされ、奉納の囃子が一斉に秋空に鳴り響きます。
4日には神社前の目抜き通りに多くの山車、屋台を集結して「共同催事」が行なわれます。一斉に囃子を奏し、手打ちを行なう「手打ち式」に始まり、「富士宮音頭」などを合同で踊った後、祭り囃子も賑やかに山車、屋台が引き廻されます。勇壮な「競り合い」がこの祭りの見せ場でもあります。
【浅間大社】
この浅間大社の歴史は古く富士山足の地に鎮祭されたのは、紀元前29年にまでさかのぼります。その後山宮を経て、現在の湧玉池の辺にまつられました。霊峰富士を神体山と仰ぎ全国1300社にも及ぶ浅間神社の総本宮です。今の社殿は慶長9年(1604)に徳川家康によって修造寄進されたもので、「浅間造(せんげんづくり)」と呼ばれています。
【引き廻し】
この秋祭りには、氏子の各町内が祭り囃子も賑やかに山車、屋台を引き廻します。こういった氏子町内の祭りが何時頃から行なわれていたかは、資料も乏しく、詳細は不明です。しかし明治の後期には行なわれていたようで山車、屋台の写真などが残っています。それ以後は山車、屋台が盛んに造られ、祭りも行なわれてきました。昭和30年代後半から40年代半ばまで祭りは低迷しましたが、近年は祭りの見直しがすすみ、引き廻し区は増加しています。
【富士宮囃子】
昭和41年8月13日富士宮市無形文化財指定 平成7年3月20日静岡県無形民俗文化財指定(県文化財昇格により市指定は解除)
山車、屋台の引き廻しに欠かせないのがお囃子です。山車上で演奏されるこの秋祭りのお囃子は富士宮囃子とよばれ愛されてきました。
大胴1.金胴2.笛1.鉦1.の5名からなり、笛、鉦はにぎやかしで2~3名程度にふやす事もありますが、踊りはつかないのが普通です。
演奏される曲目はにくずし、屋台、道囃子(篭丸)、宮参り、昇殿(聖天)等が主に演奏されていますが、町内によっては三くずし、四丁目、などという曲もかつては演奏されたもののようです。
競り合いには喧嘩囃子とも呼ばれる「屋台」の曲が勇壮に演奏され、興奮を煽りたてます。競り合いをめぐる喧嘩などから長い間自粛されていましたが、お互いの理解の下に復活させ、現在では祭りの最大の見せ場になっています。
富士宮囃子は起源についても狩りばやし説、祇園囃子起源説、江戸囃子起源説など諸説ありますが、直接の伝来は根古屋とか根方方面の囃子であったと言われています。この根古屋を始め、三島、沼津、富士周辺でもほぼ富士宮囃子と同様の曲目が演奏されています。ともに起源については判然としないものの関東囃子の系列と言われています。
富士宮囃子はこれらのなかでも、洗練されたものだと言えましょう。中でも大きな特徴は中断を許さないことと曲から曲へ切り替えでつなげて演奏されることがあげられるでしょう。
囃子の終了については特に伝統的に厳しく申し伝えられてきたことで、止めの合図が、あった後、終了の切り替え(または切り返し)のフレーズを演奏して初めて終了することが許されるのです。
「にくずし」から「屋台」、「屋台」から「にくずし」へは曲を止めずに切り替え(切り返し)のフレーズを経て、続けて演奏されます。「聖天」から「にくづし」への切り替えも記録によればあったとのことです。
また神田川を境にして、曲調、構成が少し違っています。一説には、祭りが始まり最初に出来た囃子連が「湧玉」、「磐穂」の二つであり、祭りを実施する町内が増えるにつれて町内ごとの囃子に分かれていったものだとも言われていますから、祭典を実施する町内が親名を町名に冠して名乗るのは、この名残なのかも知れません。
囃子の伝承と保存は各町内ごとに行なわれています。10月ともなればお囃子の練習が始まります。笛、太鼓の音があちらこちらから聞こえ、連日夜遅くまで祭りの準備が続けられます。昔は終生囃子方といった風潮で囃子は子供の手の届かぬところにありましたが最近では後継者の育成が叫ばれ、多くの町内で子供達が囃子方として育っています。
【展望】
近年秋祭りの復興が多くの町内でなされ、年々祭典実施区が増えています。一昨年の市制45周年秋祭りには最近では最多の17区が秋祭りを実施しました。それに加えて、新たに秋祭りを始めようという動きもいくつか出てきていると聞きます。まさに絶頂期を迎えようというところではないでしょうか。
しかしながら忘れてはならないのは以前の祭りの低迷時代です。祭りを止め、山車を失い、囃子が途切れた町内もいくつかあったようです。今日では復興されてはいるものの、一旦途切れた祭りや囃子の復興は並大抵の努力では成し得ないもので、関係各位のご苦労は察するに余りあります。
一方で省みますに、この低迷時代からの復興は駆け足で為されました。事を急ぐあまりともすれば古くからの伝統、精神を置き忘れた感も無きにしもあらずです。今、祭りの隆盛を見るなかでもう一度原点に立ち返り、より一層の質的な充実をはかる必要があるのではないでしょうか。
深まる秋、遠音に聴く祭り囃子は胸に郷愁を募らせます。秋祭りは私達の心のふるさとと言えるかもしれません。この秋祭りを末長く守り伝えて行こうと秋祭り青年協議会では日夜努力しています。
(平成元年9月)
参考文献
袖日記 大宮浅間秋祭り夜噺 囃子方の弁 富士宮囃子1 富士宮囃子2
加藤長三郎氏講演 笛今昔 秋祭り 英文解説
伝説・こぼれ話