昭和時代(40年から64年まで)
40年 | ・「”祭ばやし”をきいて」若林淳之 | 岳南朝日S40.11.25-27 |
・芸能大会県代表に浅間、神立が選ばる(S40.12.12 ) | 岳南朝日・岳陽 | |
41年 | ・富士宮ばやし保存会発会(S41.2.12) | 富士宮囃子保存会会則 |
・富士宮ばやし市の無形文化財に指定され、同時に保存会発足(S41.2.12) | 富士宮市勢要覧S52 | |
・NHKのど自慢に神立が出演 | 岳南朝日S41.3.11 | |
・流鏑馬祭連行におはやし(咲花、貴船、神賀、羽衣) | 岳南朝日S41.4.22 | |
・富士宮ばやし 市無形文化財指定(S41.8.13) | 市指定文化財台帳 | |
・富士宮ばやし市文化財に指定 | 岳陽S41.8.18 | |
・秋祭全区中止 台風26号で各区とも被害が大 | 岳南朝日S41.10.6 | |
・はやしの笛吹きを養成-10月1日から1日おき参集所 | 岳南朝日S41.10.8 | |
・台風で大和山車小屋倒壊 | 大和区誌 | |
42年 | ・2月12日に「大宮祭りばやし」が市の無形文化財としての指定を受けた。?(1967) | 村上氏による |
(前年の保存会発会の誤りでは無いか。) | ||
・祭りばやし焼津へ 港祭りに招かれ演奏 | 岳南朝日S42.4.2 | |
・村上氏 はやし保存の有り方を批判(はやしに三味や踊りは無用)〈大宮浅間秋祭り・大宮祭りばやし夜噺〉 | 岳南朝日S42.7.14 | |
・教委、文化財保護委員会に保存問題を持ち込む。 | 岳南朝日S42.7.27 | |
・保存会に答申報告 無形文化財の指定に三味線も含む。踊りは含まない。 | 岳南朝日S42.7.29 | |
《二十五周年》 | ||
・宮まいり行事復活 | ||
・11区が参加 常磐、浅間、神田、城山、高嶺、宮本、神立、神賀、貴船、松山、羽衣 | 岳陽新聞S42.10.18 | |
43年 | ・宮本、高嶺、神田で山車を出し「宮参り」が盛大に行われました。 | 広報ふじのみやS43.11.15 |
44年 | ・交通事情の悪化から各区とも山車を出さないことにきめた。 | 岳陽新聞S44.11.3 |
・にぎやかに「宮参り」。社前で祭り太鼓を奉納しました。 | 広報ふじのみやS44.11.15 | |
45年 | ・大和 山車を解体(S45.6.7 ) | 大和区誌 |
・市青協「ふるさとの祭」を行う(影山氏8ミリ記録) | 岳南朝日・岳陽 | |
・今日一斉に宮参り 参加区は木の花、大和、城山、神田、浅間、宮本 | 岳南朝日S42.5.20 | |
高嶺、常磐、神立、貴船、松山、琴平、二宮の13区 | ||
・初日の3日は、大宮小学校校庭で「市民みんなで楽しめるまつりを」と | 広報ふじのみやS44.11.15 | |
市青協主催による“ふるさとの秋まつり”が盛大に行われました。 | ||
年不詳 | ・松山 山車を手放す(再入手より逆算)この頃か? | ふじのみや祭ガイド |
46年 | ・浅間 山車を手放す | ふじのみや祭ガイド |
・宮まいりに15区参加 大和、常磐、木の花、城山、神田、浅間、高嶺、宮本 | 岳陽新聞 S46.11.4 | |
福地、琴平、神賀、神立、松山、貴船、羽衣 | ||
太鼓は常磐、神田、浅間、高嶺、宮本、神立、松山が参加 | ||
47年 | 《三十周年》・6区が山車を出す。松山、宮本、高嶺、神田、浅間、常磐 | |
宮まいりは上記に加えて琴平、木の花、神立 | 岳陽新聞S47.10.28 | |
・屋台パレードを4日に行う。3日間1時から6時まで車をシャットアウト。 | 岳陽新聞S47.11.3 | |
大宮、貴船小校庭駐車場に開放。 | ||
・常磐 屋台新調 |
ふじのみや祭ガイド | |
48年 | ・7区が初日に宮まいり。神田、浅間、常磐、高嶺、宮本、松山、神立 引廻し区 浅間、常磐、宮本 | 岳陽新聞S48.11.2 |
49年 | ・秋祭り決まる。宮まいりは7区 | |
宮まいり 常磐、浅間、神田、高嶺、宮本、神立、貴船 | ||
引廻し 常磐、浅間、宮本、貴船 | ||
子供の踊り 神立 | 岳陽新聞S49.10.24 | |
50年 | ・宮まいりには6区参加 常磐、神田、高嶺、宮本、神立、貴船 | |
引廻し 貴船、常磐、宮本、神立 | 岳陽新聞S50.10.18 | |
51年 | ・福地 青年会発足。 | ふじのみや祭ガイド |
・宮まいり 常磐、浅間、神田、高嶺、宮本、神立 | ||
引廻し 浅間、常磐、神田、宮本 | 岳陽新聞S51.11.3 | |
52年 | 《三十五周年》・共同催事始まる。 | 岳南朝日・岳陽 |
・宮まいりには8区 常磐、神田、高嶺、宮本、松山、貴船、神立、福地 | ||
独自に 浅間 | ||
代表参拝 神賀、城山、木の花、大和、三園平、咲花、羽衣 | ||
共同催事 常磐、神田、高嶺、宮本、松山、神立 | 岳陽新聞S52.11.3 | |
・福地神輿を作り祭り参加。 | ふじのみや祭ガイド | |
53年 | ・浅間 山車を買戻し修復。 | ふじのみや祭ガイド |
・宮まいり7区 宮本、高嶺、神田、浅間、神立、福地、松山 | ||
代表参拝 咲花、木の花、羽衣、三園平、常磐、城山、大和 | ||
共同催事 宮本、高嶺、神田 | 岳陽新聞S53.11.3 | |
・木の花 置き屋台で祭りを復活。 | ふじのみや祭ガイド | |
54年 | ・暴力団抗争により露店出店を中止。引廻しは行った。 | 岳南朝日・岳陽 |
・引廻し 神田、浅間、高嶺、松山、貴船、神立、宮本、福地、羽衣、日の出 | ||
共同催事 神田、高嶺、宮本、羽衣など | ||
宮まいりのみ 木の花 | 岳陽新聞S54.11.2 | |
・富士宮ばやし(8ミリ映画)にこの年の記録あり。 | 富士宮ばやし | |
・神立 この年は祭りを中止。 池野氏による | ||
・宮本 屋台を楼門前の馬場まで引き入れた。-写真 | 佐野による | |
・福地 手作りの屋台で祭り参加 ふじのみや祭ガイド | ||
55年 | ・木の花 引廻しを再開 | ふじのみや祭ガイド |
・宮まいりに12区7区の屋台が一同揃って引き回し | 岳陽新聞S55.11.3 | |
56年 | ・大和 文化部を発足 祭りを復活 | ふじのみや祭ガイド |
・引き回し 木の花、浅間、高嶺、宮本、貴船、神田、 | ||
常磐、神立、福地、日の出、松山、羽衣、大和 | ||
代表参拝 城山、咲花、大和 | ||
共同催事 神田、浅間、神立、高嶺、宮本、松山、羽衣 | 岳陽新聞S56.10.14 | |
57年 | 《四十周年》 | |
・宮本 山車を復元 |
ふじのみや祭ガイド | |
・神田 山車を修理 | ふじのみや祭ガイド | |
・福地 屋台大改造 | ふじのみや祭ガイド | |
・秋祭りに16区参加 | ||
引き回し 神田、浅間、常磐、高嶺、宮本、松山、貴船、神立、福地 | ||
羽衣、咲花、木の花、大和、城山、神賀、日の出 | ||
代表参拝 大和 | ||
共同催事 神田、浅間、常磐、高嶺、宮本、松山、貴船、神立、羽衣、日の出、神賀 | 岳陽新聞S57.11.3 | |
・咲花 寺田さんが屋台寄贈 ニッサンチェリーの車体を利用 | 岳陽新聞S57.11.5 | |
58年 | ・引き回し 神田、浅間、常磐、高嶺、宮本、松山、神立、 | |
福地、羽衣、咲花、木の花、大和、城山、日の出 | ||
共同催事 神田、浅間、常磐、高嶺、宮本、松山、神立、羽衣 | 岳陽新聞S58.10.22 | |
59年 | ・共同催事 羽衣、神賀、神立、貴船、松山、宮本、高嶺、神田、浅間、常磐 | 岳陽新聞S59.10.18 |
宮まいり(引き回し)日の出、大和、咲花、木の花、城山、福地 | ||
60年 | ・福地 二台目の屋台を作る。 | ふじのみや祭ガイド |
・共同催事 羽衣、神立、松山、宮本、高嶺、浅間、神田、常磐、日の出 | 岳陽新聞S60.10.16 | |
宮まいり(引き回し)のみ福地、城山、木の花、大和、咲花 | ||
61年 | ・福地 屋台前で記念撮(61.11.4 ) | 福地山車建造記念誌 |
・大社前で共同ばやし | ||
共同催事 高嶺、松山、羽衣、宮本、神立、貴船、神田、常磐、浅間、咲花 | ||
出陣式のみ 琴平 | ||
宮まいり(引き回し)のみ福地、城山、木の花、日の出、大和 | 岳陽新聞S61.10.14 | |
・秋祭り後、秋祭り青年協議会発会 | ||
62年 | 《四十五周年》 | ふじのみや祭ガイド |
・共同催事 羽衣、福地、神立、松山、貴船、神賀、琴平、宮本 | ||
高嶺、浅間、神田、城山、木の花、常磐、咲花、日の出 | ||
宮まいり(引き回し) | ||
・共同催事雨で流れる。 | ||
・福地 山車建造 | ||
・松山 山車を再入手し修理。 | ||
63年 | ・城山 松山より旧山車を譲受け修理。 | |
・大中里 秋祭りに初参加。 | ふじのみや祭ガイド | |
・引廻しは昭和天皇御病状悪化により中止された。 | ||
・神立 太鼓新調入魂式を行う 昭和63年11月3日 |
宮まいり行事復活
「富士宮市はことし市制施行25周年にあたるため、11月を中心に記念行事をくりひろげるが、その一つとして全市を挙げて秋まつりを進める方針で、各区と話し合いを進めており、戦前さかんに行われていた「宮まいり」も復活することになった。これは18日に開かれた市と17区代表による秋まつりの打合せ会で決まったもの。それによると昨年来問題となっていたまつりの当番制や輪番制はまつりの中心となる青年が少ないため困難であること。交通事情が悪化しているため、山車の引き廻しはむずかしいこと--などから、山車の引き廻しは自町内だけにすることになった。しかし秋まつりの特色を出すため、戦前盛んに行われた宮まいり行事を山車抜きで復活しようという意見が出され11月 3日午前10時までに各町内が太鼓や笛だけで行列を組み浅間神社へ勢揃い、お参りしたあとはやしながら自町内まで練り歩くことになった。この宮まいりは戦前山車をくりだして練り歩き、秋まつり最大の呼び物になっていたという。なお、昨年は台風26号で大きな被害をだしたため、自粛して全町内が取り止めていたが、ことしは市制25周年にあたるところから、各区の間で積立金などによるまつり準備がすすめられているようだ。
岳南朝日S42.5.20