へんぽらいの祭り談義2008.11.13「踊る」より転載加筆したもので、「祭にっぽん」と共有しています。
村上喜巳さんが昭和42年に書かれた冊子「大宮浅間秋祭り・大宮祭りばやし夜噺」にこんな記述があります。
「又、民謡、流行歌、俗曲等に合せて踊る、群舞形式(地踊り)も大正末期までには無かったものである。殊に昭和初期の一と頃長唄の『元禄花見踊』『五郎』清元の『神田祭り』等の本格的日本舞踊の一節を抜粋して踊った群舞形式(地踊り)が流行したことがあるが、あの形式も明治末期から大正年間を通じての私の“大宮祭り”の記憶には無いのである。」
また神立区誌には次のような記述があります。
昭和3年昭和天皇ご即位の大祭の所です。
「市内で初めて手踊りを取り入れて欠畑(かけばた)まで囃し、踊り歩き、町中をアッと言わせた。『さすが神立』と言われ、いかにも神立青年らしい。記録には『ああ、愉快、愉快』と結んであった。」
曲目は『関の五本松』を踊ったとの事。
どうも富士宮秋まつりでの踊り(群舞形式《地踊り》)が始まったのは昭和初期、御大典の頃のようです。
現在、引き回しの合間と競り合いの後などに踊りは盛んに踊られています。
「富士宮音頭」「富士宮秋まつり歌」「富士大宮」といった伝統的な3曲は共同催事の際に必ず踊られ、個々の引き回しの際にはそれ以外にも自由な曲が踊られています。
3日夜恒例の湧玉高嶺との競り合いの後、交互に新曲での踊りを披露し合い、最後に一緒に踊ったもの。
近年会所などを訪問した際に、新しい踊りを披露し合う事が多いです。
楽しげに踊る姿は見ていても楽しいもの。
湧玉福地が宮本会所前で披露したオリジナルの踊り。
湧玉神立が宮本会所前で披露したオリジナルの踊り。
全ての引き回しを終えての踊りです。
楽しむために踊る。それが一番じゃないでしょうか。
「近年流行歌、民謡、一時的な流行を遂い、なんでもかんでも踊りさえすればよい、とする大宮祭りの乱脈さが激しく募って、浅間秋祭りに純萃な郷土芸能的な創意工風が生ずべき気運の兆しをさえ阻んでいる。」
前出の村上氏はこう嘆いていますが、踊る事で嬉々として祭りをもり立ててくれる人たちが居るからこそ、祭りは続いているとも言えます。
祭りが皆の楽しみであれば、異論を挟む余地はありません。祭りは続いてゆくのです。
祭りが楽しみであるためには、はやり歌でも良いんじゃないか。
踊る人たちの笑顔を見るたびに、そう思います。
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